『「普通がいい」という病』

「普通になりたい」という人が多い。普通になれれば幸せになれると思っている。SNSが発達して、相互に見える世界になり、マジョリティから外れた人を大勢で糾弾したりと、窮屈な世の中になったせいもあるだろう。

もしくは、多様な生き方も認められる世になったが故に、逆に確固たる意志がなければ普通を目指すしかない。(私自身も20何年間で培われてきた「普通」に縛られており、夫に普通はこうなんだよと言って反省することがある)

そんな世の中に息苦しさを感じている人にこの『「普通がいい」という病 (講談社現代新書)』(泉谷閑示著)をおすすめしたい。泉谷氏は精神科医で他にも著作多数。

 

 


「普通がいい」という病 (講談社現代新書)

 

筆者は、人間は一人ひとり違う「角」を持って生まれたという。他人は人の目立つ「角」を問題にして非難するので、人々は自分のシンボルである角を憎むようになり、隠そうとしてしまう。角を切除して普通になることが大人になること、「角」を取り、普通になれという考えが私たちに刷り込まれている。


「普通」を強制してくるまず最初の人は親だろう。親もおそらく周囲の視線や言葉によって傷ついて、「普通」でないことはまずいことなんだと考えるようになり、子供に押し付けるようになる。

著者は、「普通はいいことだ」「普通は幸せ」などといった言葉に付随する世俗的な価値観を「言葉の手垢」と表現する。
言葉は多くの人に使われていくと、手垢や錆をまとってくる。ある言葉がなぜ人を縛りつけ規定するかというと、言葉にくっついている価値観や固定観念が縛っているからという。もし何かの言葉に縛られているなら、「言葉の手垢」を考えてみてはどうだろう。

 

現実もファンタジー
「現実を見ろ」「現実が大事」というが、人間は最後はわずかなカルシウムとリンの固まりになり土に還っていく。
世の中は人為的に決められたルールによって成り立っている。日本銀行もこども銀行も変わらない。お金も肩書きも、限られた社会で通用するファンタジーであり、それに縛られているのだ。

 

問題にされる神経質

神経質だと、鬱とか不安障害になりやすいと問題にされがちだ。しかし、神経質を頑張って減らそうとしてもうまくいかない。そもそも鈍感→繊細という一方通行で、感じていることを感じないようにはできないのだ。

著者は「神経質さに磨きをかけて突き進めば良い。神経質の極みに達した時にポンと抜け出ることになる」という。神経が細いのが厄介なら、敏感になって太ければ簡単に傷つかない。人に影響を及ぼすけど、影響を及ぼされない人格になるのが理想。

 

冒頭で述べた「角」の話のように、どの人にもその人らしい敏感なアンテナがある。このアンテナをみんなと違う感覚だから良くないと思うと、それをひた隠しにして使わないようにする。しかし、アンテナがなくなることはないから、結果として中途半端に敏感で細い状態になり、その人自体が弱くなっていってしまう。

 

小径をゆく〜マジョリティの大通りとマイノリティの小径

著者はいわゆる「普通」をマジョリティの大通りと表す。

大通りは安心だ。

みんなも行っている、みんなそうだから私もこれでいいんだと思える。でも、自分自身で判断を行っているか? 道がどこに向かっていくのかも知らないのに。つまり、思考せずにマジョリティの大通りを歩くのは、自分の人生に責任を持っていないし、自分の人生も生きていないという。

自分で大通りから外れた人はいいが、気づいたらはぐれた人たちに「大通りに戻ることが正解ではない」と言えるかどうか。

マイノリティの小径は不安だ。自分の判断以外に当てにできない。マニュアルもないし他人との比較もできないし前例もない。

それに比べ、大通りは不自由だけど安全。これが人々を大通りに引きつける最大の理由だ。大通りの人は必ず徒党を組む。うちに抱える不自然さ、窮屈さを打ち消したいから「私たち正しいわよね、あの人は変だよね」と自分たちを正当化して安心する。よく見る光景だ。

しかし実際は人は徒党を組んで死ぬことはできない。
死を目前にしたときに自分の生が不自然だったと思えるなら後悔するだろう。自分らしい人生だったと思えるなら、納得して死ねる。だから、著者はみんながマイノリティの小径を行くことを推奨している。

 

 


……みんなと一緒が大好きな日本人にはなかなか難しそうではあるが。ずっと近代以前からお上が言うことにへいこら従ってきた。最近は自分と合わない人をみんなで寄ってたかって攻撃するようになった。それは実は内心不安や理不尽感でいっぱいだからなのだろう。

 

同じ大学や職場、周りで知り合う人は大体同質な人だが、少し外に目を向けると実際は色んな人がいる。同じ仲間で固まらずに色んな人と知り合うと、凝り固まった意識が少しほぐれそうな気がする。

 

 

ざっと本書でためになった箇所を感想交え書いた。著者の泉谷氏は哲学や古典に造詣が深く、本書ではそれらを引用して論じている。実際に読んでみるともっと腑に落ちる感覚があるのでおすすめです。