自信がないと言い続けている人はその方が快適だから

劇作家の鴻上さんの「やりがいある仕事で、家族も元気、友人もいるが、容姿、体型、性格全てに自信がない」とお悩みの女性に対する答えが的確だった。

相談者の方は要領良くてなんでもできるけど、イマイチ手応えがなかったのだろうか?なんて感じがした。仕事やりがいあります♪ なんて、そうそう言える人いないよーと思うが、鴻上さんは、柔らかく前置いて、後半でピシッとアドバイスしている。

 

どうして自信がないのか? 僕は、少しきつい言い方になりますが、「自信のなさ」を手放さない人は、その方が快適だからだと思っているのです。

 シカさんに対して「自己評価と他者評価が乖離しすぎている」とアドバイスした人は鋭いと思います。

「自分で自分に悪口を言う」ことの方が「他人から悪口を言われる」より楽なのです。「お前はダメだ」と言われるより「私はダメだ」と自分で先に言う方が傷は浅くなります。自分で自分にダメだと言う方が他人に言われるよりはるかに優しいのです。自己嫌悪は自己に優しいのです。

 他人の言葉は自分を強引に変えてしまう可能性がありますが、自分の言葉は自分を今のまま置いてくれます。

 

 

鴻上さんの答えは、グサリとくるものがあった。

自信がないって思い込んでいれば、何かできないことがあっても予想の範囲内だし、悩み続けていれば、ずっと同じ状態に安住できる。人はホメオスタシスの観点からも「変わる」ことは難しい。

 

「こうなったら自信をもてる」という根拠を探し続けている限り、終わりはないのです。「自信をもてる絶対的な保証」なんてないのです。

「そんなことない。美人は自信満々だ」と思ったでしょうか? 僕は多くの美人女優が、自信のなさに苦しんでいることを知っています。次々と現れてくる新人の若さと年を重ねていく自分の年齢との狭間で、美に対して敏感な人ほど悩むのです。

 そして、多くの人が「悩んでいてもしょうがない。自分は自分なんだから」と結論するのです。

 あきらめるんじゃないですよ。ちゃんと考えることはしますよ。僕がこの連載で言っているように「考えることと悩むこと」を確実に分けるのです。

「考えること」は肌ツヤを良くするために何をするべきか研究し実践すること、「悩むこと」は「あーダメだもう、自信ないよー」とうだうだ悩むことだと言う。

 

昨日、大学卒業時に部活動で書いたエッセイを発見したが、読み返すと今と同じような内容の「あれがダメだった」「これがダメだった」って書いてるんだな。反省反省……ってまた同じなんだけど。結局、自己憐憫で何も変わってないのだ。

 

自信がないって言い続けるのではなく、行動して変えていくのは、本人にとっての生き方考え方を丸っきり変えること。革命的なことだから難しいけど、最近それに気がつく出来事が多々あったからよかったと思う。