教養のある人がえらいと思ってた
本を読んだりニュースに触れたりして、多くの知識がある人がえらいと思っていた。本を読んでこそ、いろんな考えや人生に触れて、その人の人格の豊かさにつながると。
私はある友達が本を一切読まなく、社会情勢にも関心がないと知って、ちょっとがっかりしたことがある。
「小説が特に読めないんだよね。想像ができなくて頭に入ってこないというか」
「メルケルってどこの国の人だっけ?」
内心、信じられない…と思ってしまった。その人に敵わないことは沢山あるので、なんか悔しかった。
でも彼は他人の悪口を言わないし、多分、むだな知識がないからか、世の中の純粋さを信じていた。
元々私の理想は、教養があって話の面白い人だった。
勤め先には、博識で自分が知らない世界を沢山知っている年上の人たちが多くいた。
その中でも、頭がキレてユーモアがあり、歴史や時事に詳しく、一方的に尊敬していたマネージャーがいた。
この人は私の理想だとうっとりしていた。
けど、よく関わるようになって別の一面が見えた。結構な頻度で、誰かが思い通りにいかないと激昂して怒鳴りつけたり、自分のイラつきの解消のために刃物のような言葉で相手をぶっ刺したりする。
「あんなバカな奴らとは会話にならない」
「いい加減にしろよ!ちゃんと仕事しろよ」
勝手に私が大事にもっていた理想像は崩れていった。
頭いいから周りがバカに見えるんだろうな。まあ味方についてくれているときは心強かったけど。
めっちゃモラハラしそうじゃないか…
以前は、強い物言いをする人に心惹かれていたこともあったけど、私は目が覚めたのだった。。おとなになったね。
必ずしも知識があり賢い人が尊敬できる人じゃない。この年になってしみじみ感じた。
物知りじゃなくていいから、優しい心を持っている方がいい。
あと、親戚の1人は読書家で色んな分野に造詣が深く、以前から尊敬していた。でも無意識に、ん??と思う発言をすることがあった。
同性愛の人が職場にいるのはイヤだ。怖いから。
女性って志が低い人が多い。
ふと気づいた。教養のある人がえらいとか、同じ本を読んでると気があうとかじゃないんだ。(だから『花束みたいな恋をした』を観て私は大怪我をした)
摂取してるものはその人の、ごく一部でしかない。私も同じ。なんか本読んで、新聞読んで、えらくなった気がしていたんだ。
何を考えるか、信じるか、発言するか、行動するか。それが大事なんだな。教養があるイコール尊敬できるにはならない。
ちなみに冒頭の友人は社会人になってから毎週図書館に通ってるらしい。
あのときの私、「本読まないとか信じられないわ」とか言わなくてよかった。何かを押し付けることは自分が昔されて嫌だったことだ。
人にとって何かを始めるタイミングはそれぞれ。自分のタイミングがある。