偏差値と地方と多様性。

今朝、読んで共感する記事があった。先日の名古屋の某有名進学校の生徒による傷害事件について。

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ここで言われている「偏差値至上主義」。大学入るまで偏差値でしか判断されないので偏差値教に入信してもおかしくない。私もずっと「偏差値至上主義」で生きてきたが、実際の社会はペーパーテストで一つの正解がある世界ではないので、社会では放り出されたようなもどかしい気分になる。当たり前だがキャリアには、他の要因(上司から気に入られる、交渉、景気、人事…)が関わってくる。いつも「正しい答え」に慣れていたので、難しい状況で人と折衝して妥協点を探ることに苦手を感じた。

ある大学に行けばその後の職業人生順風満帆かと言うとまったくそうじゃない。けど、学生はそんなこと知らないし、とりあえず切符を得るために目の前の偏差値を上げることに一生懸命になる。

 

特に地方の進学校では成功のロールモデルが限られていることもあります。東京都内だと、高卒でIT企業を起業して成功したり、東大を出て金融業界などで活躍したりしている大人が身近にいますが、地方だと医者が一番偉かったりする。成功するには医者か公務員になるしかない

 

そうそう、今ベンチャー企業に勤務しているが、いろんなバックグラウンドで面白い人たちがいる。こんな生き方もあったんだって羨ましくなる。彼・彼女らも苦労して生きてきたんだろうけど。大卒夫婦2人に育てられた環境では、お金かけていい大学に行くことが解であった。日常会話で、あの人は〇〇大なんだって〜とか、まず肩書きから始まる家庭環境だったしその価値観に染まっていた。

 

学校や家は狭い社会なので、どうしても視野が狭まる。親や友人も同じような価値観の中にどっぷり浸かっていると、違うものさしで物事を考えられなくなってしまう。

通っていた中京圏の高校では、「浪人なんて女子はする必要ないでしょ。結婚に影響出ちゃうかもよー?」という同級生女子何名かから言われたことはびっくりした。仮にも進学校ですよ。きっと親が子どもに言っているんだろう。親の言うことは子どもの価値観にそのままつながる。


なんだかあのエリアって独特な雰囲気なんですよね。それはどこのローカルでも言えるのかもしれない。じゃあ東京の学校の雰囲気が多様性あるかというと、一括りには言えないだろうけど。そんなわけで、この事件でなんとなく地方の閉鎖性を思い出した。

高校に、色んな生き方をしている地元の人・高校の卒業生を呼んで講演してもらうのとかどうだろう。世界プラプラしながら生きてます、とか大学卒業後に専門学校に入り直して当初とは全然違うことやってます、とか。より良い大学受験を目指す学生たちに、「大学受験で人生終わりじゃなんだ」と、違う角度からの人生の視点や選択肢を感じてもらえるかもしれない。