『ブラッククランズマン』(『BlacKkKlansman』)/恐ろしい人種差別事件を皮肉とユーモアで描く

『ブラッククランズマン』(『BlacKkKlansman』)を観た。
監督・脚本はスパイク・リーアフリカ系アメリカ人への差別や社会問題を扱う作品で知られ、『マルコムX』などの監督で有名。近年は評価が低迷していたが、今作で脚色賞を受賞し、話題をさらった作品。

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あらすじ(ちょっとネタバレあり)

コロラド州コロラド・スプリングス警察署に初の黒人警官として採用されたロン(ジョン・デビッド・ワシントン)。ロンは情報部に配属され、電話で白人至上主義団体KKK接触する。人種差別主義者の白人としてふるまい、気に入られたロンは支部長らメンバーと会うことになる。黒人であるロンの代わりに、同僚の白人フリップ(アダム・ドライバー)がロン役で潜入捜査に。そこである襲撃計画を知る……

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実在する元黒人警官のロン・ストールワース著『ブラック・クランズマン』がベース。映画は、人種差別というシリアスなテーマであるものの、ユーモアと皮肉を交えて描いた素晴らしい娯楽作となっている。

主役を演じたジョン・デビッド・ワシントンはデンゼル・ワシントンの息子!最近だと『TENET』で注目された。

当初ロンは、警察内部でも嫌がらせを受けるが、プライドを持って賢く立ち回る。コミカルな感じでひょうひょうとして好感が持てるキャラクター。白人訛りを使いこなすので、KKKとの電話で「黒人は訛ってるからわかるんだ!」と電話口で言われるけど、自分が黒人だとバレない(笑)

KKKのアホっぷりも今なら笑える。しかし当時は、あまりにもバカバカしい論理がまかり通り、非WASPが酷い差別を受けていたことが事実。いまも日本含め各地で人種差別は残っているが。

KKKへの潜入捜査では、フリップ(アダム・ドライバー)が電話口の「ロン」ではないといつバレるか?ドキドキ。
フリップは危ない役回りでちょっと不憫。過激派のフェリックスには、しつこくユダヤ人じゃないか?と疑われ、嘘発見器にかけられそうになったり。盗聴していたロンのアシストで間一髪救われます。実のところ、フリップはユダヤ人で被差別対象だった。だからこの捜査にも並々でない思いを抱いている。

そして、ロンとフリップ演じる「ロン・ストールワース」は、支部長のウォルターや指導者デビッド・デュークからも信頼を得て、次期支部長に推薦されるまでに……!一方、黒人殺傷計画が裏で進んでいるという情報をキャッチし……


目が離せないハラハラの展開で130分の上映もそんなに長く感じなかった。

アダム・ドライバーいいな〜。去年はアダム・ドライバー出演の映画語ってるの多いと気づきました。職人っぽい雰囲気が好きです。『ハウス・オブ・グッチ』も先日観たけど、カッコよかった。

 

話を戻して、最後のカットでは2017年のバージニア州シャーロッツヴィルの極右集会絡みのテロ、トランプ米前大統領が映し出される。人種差別問題は地続きになっているのだ。

 

ロンと仲良くなった黒人活動家のパトリスとの思想の違いも印象的だった。ロンは自ら警察という白人集団の中に入って内側から意識を変えていこうとする。一方パトリスはなかなか偏見がなくならない世の中に嫌気がさして革命を訴える。どちらも目指している社会は差別偏見のない社会。でも立場によって、個々が取りうる方法は変わって一枚岩にはなれない。

トリビア(Imdbから)

・実は、ロン・ストールワースご本人はKKKとの電話で白人用の声を使わなかったそう。でもバレなかったみたい。(ますますKKK側の思想は当てにならんですね)

・デビッド・デュークを演じたトファー・グレイスサム・ライミ版のスパイダーマン3でヴェノムを演じていた俳優!)は、差別主義者の役作りの影響で、鬱状態になってしまった。グレイス曰く、デュークの自伝なども読んで、想像以上にデュークの人種差別思想が酷いことを知ったが、もっとも恐ろしいのは彼が自分を魅力的に見せていた術を持っていたとのこと。口のうまさやカリスマ性に惑わされずに本質を見ることはいつの時代も大事なのだな。

『寝ても覚めても』/よくいる和製のふわふわした女の子の成長譚

東出昌大さん、唐田えりかさんが出演する『寝ても覚めても』を観た。ゴシップのイメージがついてしまった本作だが、独特な雰囲気でよかった。監督は2021年カンヌ映画祭に出品された『ドライブ・マイ・カー』で日本人初の脚本賞を受賞した濱口竜介監督。

wordpressブログに書いていた映画記事を徐々にこちらに移動しようと思います…)

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寝ても覚めても』(C)2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会



あらすじと感想(ちょっとネタバレ)

朝子(唐田えりか)は、写真展覧会で不思議な雰囲気を持つ麦(ばく/東出昌大)と出会い、交際するようになる。ある日、麦は姿を消してしまう。3年後、朝子は東京に引っ越してカフェで働き始める。朝子の勤務先のカフェは近所の会社にコーヒーを届けていたが、そこで麦にそっくりの亮平と出会う。亮平は麦と性格も名前も違うが、お互いに惹かれ合って行く。一方の麦は……

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終始、唐田えりかさん演じる朝子も、東出昌大さん演じる麦・亮平もふわふわしていてつかみ所ない人物像。人間味があまりない。(あえての演技なのか、唐田さんに関しては他作品を知らないので不明。)

 

麦は幽霊みたいにフラフラ、朝子もボウっとしてあまり自分の意見を言わず微笑んで頷いている。朝子みたいな女の子いるわーー守ってあげたくなるからモテるんだよね。

 

朝子は、自分勝手で奔放な麦に盲目的に献身するけど、他者から見ると行動原理がつかめない。もちろん、好きな理由を言語化できない時があるのはわかる。なんかよくわかんないけどめっちゃ好き!みたいな。(いやでもあまりにもうじうじが長い……)

朝子は、東京で亮平に出会ったときは、逃げ回ってばかりで自分からは行動を起こさない典型的な受身女子だった。でも頭の中は相手の男性のことで頭がいっぱい。

 

邦画ではこういう主体性がなく、相手の男にただ振り回される、もしくは感情のまま行動して周りを振り回す女性がよく描かれている気がする。なんでそうなっているのかその女の子自身もわからない。

『愛がなんだ』でも主人公は、盲目的に相手の男にアタックし、自己と他者の区切りがないかのようだった。

外国の映画では論理性を大事にする文化の影響か、自分がなぜこの行為をしているか説明できないことはあまりしてない気がする。別にどちらがよいとかないけど面白い。

河合隼雄が日米の違いを論じている節を思い出した。

 

「たとえば、ノドになんか詰まっている感じがしてものがあまり食べられない、ということがあるとします。……アメリカだったら『いったい何が詰まっているのか』」とか、『あなたは言いたくないことがあるんだろう』とか、徹底的に言葉を使ってその原因を究明して解決していこうとします。ところが、われわれ日本人はそのときにそんなことはなんにも聞かない」

「すべて分析して言語化しないと治らないというのはおかしい。また、言語で分析する方法は、下手をすると、傷を深くするときだってあるのです」

 

河合 隼雄,村上 春樹. 村上春樹河合隼雄に会いにいく(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.265-269). Kindle

 


米国人は「これは〇〇です」とハッキリ説明することが多いが、対して日本人は「何となく」とか「面白いから」などと言って説明はせず、けれど結果的には深い表現になることもある、と述べる。

 

朝子が、傷ついた自分の心をすぐに表現していたら深く傷ついていたかもしれない。
終盤の車の中でモヤモヤを整理してついに気持ちを発露することができたのかも。モヤモヤ一辺倒から成長して、言語での表現を身につけて前に進むことができたのだと思った。

 

 

この映画は賛否分かれているけど、個人の極めて内面の部分の成長を描く素晴らしい映画だと感じた。日本映画は個人の半径5メートル?の世界を描くのはすごく上手い気がする。『花束みたいな恋をした』とか。そりゃ世界的にヒットする作品にはならないが、観た人の心に強く残る作品である。

 

 

 

映画では、震災をきっかけに朝子と亮平の距離が接近する。小説では、朝子が貧血を起こして亮平が助けたことがきっかけだったそう。震災という非日常をきっかけに朝子と亮平が向き合うシーンが印象的だった。

また、写真家・牛腸茂雄の写真がキーポイントになっている。牛腸氏は胸椎カリエスに侵され身体の成長が止まった人物である。有名な写真集は「SELF AND OTHERS」。朝子の、身体は成人しても精神は未熟なままである様と対照的なさまを表している。

偏差値と地方と多様性。

今朝、読んで共感する記事があった。先日の名古屋の某有名進学校の生徒による傷害事件について。

dot.asahi.com

ここで言われている「偏差値至上主義」。大学入るまで偏差値でしか判断されないので偏差値教に入信してもおかしくない。私もずっと「偏差値至上主義」で生きてきたが、実際の社会はペーパーテストで一つの正解がある世界ではないので、社会では放り出されたようなもどかしい気分になる。当たり前だがキャリアには、他の要因(上司から気に入られる、交渉、景気、人事…)が関わってくる。いつも「正しい答え」に慣れていたので、難しい状況で人と折衝して妥協点を探ることに苦手を感じた。

ある大学に行けばその後の職業人生順風満帆かと言うとまったくそうじゃない。けど、学生はそんなこと知らないし、とりあえず切符を得るために目の前の偏差値を上げることに一生懸命になる。

 

特に地方の進学校では成功のロールモデルが限られていることもあります。東京都内だと、高卒でIT企業を起業して成功したり、東大を出て金融業界などで活躍したりしている大人が身近にいますが、地方だと医者が一番偉かったりする。成功するには医者か公務員になるしかない

 

そうそう、今ベンチャー企業に勤務しているが、いろんなバックグラウンドで面白い人たちがいる。こんな生き方もあったんだって羨ましくなる。彼・彼女らも苦労して生きてきたんだろうけど。大卒夫婦2人に育てられた環境では、お金かけていい大学に行くことが解であった。日常会話で、あの人は〇〇大なんだって〜とか、まず肩書きから始まる家庭環境だったしその価値観に染まっていた。

 

学校や家は狭い社会なので、どうしても視野が狭まる。親や友人も同じような価値観の中にどっぷり浸かっていると、違うものさしで物事を考えられなくなってしまう。

通っていた中京圏の高校では、「浪人なんて女子はする必要ないでしょ。結婚に影響出ちゃうかもよー?」という同級生女子何名かから言われたことはびっくりした。仮にも進学校ですよ。きっと親が子どもに言っているんだろう。親の言うことは子どもの価値観にそのままつながる。


なんだかあのエリアって独特な雰囲気なんですよね。それはどこのローカルでも言えるのかもしれない。じゃあ東京の学校の雰囲気が多様性あるかというと、一括りには言えないだろうけど。そんなわけで、この事件でなんとなく地方の閉鎖性を思い出した。

高校に、色んな生き方をしている地元の人・高校の卒業生を呼んで講演してもらうのとかどうだろう。世界プラプラしながら生きてます、とか大学卒業後に専門学校に入り直して当初とは全然違うことやってます、とか。より良い大学受験を目指す学生たちに、「大学受験で人生終わりじゃなんだ」と、違う角度からの人生の視点や選択肢を感じてもらえるかもしれない。 

『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』

ドイツの映画『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』を観た。(ネタバレあり)

あらすじは以下。

ベルリンのペルガモン博物館で、楔形文字の研究に没頭する学者アルマ。研究資金を稼ぐため、とある企業が極秘で行う特別な実験に参加することに。そこに現れたのは紺碧の瞳でアルマを熱く見つめるハンサムなトム。初対面にもかかわらず、積極的に口説いてくる彼は、全ドイツ人女性の恋愛データを学習し、アルマの性格とニーズに完璧に応えられるようプログラムされた高性能AIアンドロイドだったのだ!トムに課されたミッションは、“アルマを幸せにすること” ただひとつ。実験期間は3週間。献身的でロマンチックなトムのアルゴリズムは、過去の傷から恋愛を遠ざけてきたアルマの心を変えることが出来るのか――?
(映画HPより)

 

完璧なAIアンドロイドのトムは、『美女と野獣』『ダウントン・アビー』などで注目されたダン・スティーブンス。彼はドイツ語やフランス語にも堪能だそう。劇中でも指摘されている英国訛りのドイツ語は、セクシーなロボットの設定にもなっている。

主人公のアルマ(マレン・エッゲルト)は、典型的な40代バリキャリ。ベルリンのペルガモン博物館で楔形文字の研究を行う。パートナーとは別れ、元パートナーは再婚。父親は老化が進み、身体的にも精神的にも追い詰められている。アルマ自身も、否が応でも「孤独」の文字が見えてくる。
しかしアルマはAIとの恋愛は最初から乗り気ではない。自分向けに最適化されたアルゴリズムとの恋愛なんて、とトムを相手にしない。
トムはアルマの反応を学習して、調整していく。アルマから手厳しい反応をもらっても全くへこたれないのはロボットだから。

せっかくトムと距離を縮めた日の翌朝のアルマの言葉にはっとさせられる。
「完璧なゆで卵を作ろうとしてる。あなたは固さなんて気にしないのに」
アルマが何をしてあげても、トムに心はない。プログラムだけ。

後半に会った一緒に実験に参加していた男性はアルマの真逆で、美人な女性を連れて「これまで僕は誰にも見向きされなかったから、最高だ」と言う。
アルマは聡明すぎるので、ここまで単細胞になってトムを扱えなかった。女性と男性の違いもありそう。私見だが、女性の方が相手との心の通じ合いを大事にする傾向があるのでは。

朝起きたら完璧な食事が用意されていたり、やさしい言葉で慰めてくれたり。でも、ふとそれでいいのだろうか?と思ってしまう。
自分にとって最高のアンドロイドがいたら甘えてしまうし、生身の人間とのコミュニケーションは面倒くさくなるだろう。単なる都合のいい相手。

でも「都合が良い」相手であるなら、アルマの研究が実はライバルに先越されていた件に対しては、AIはどう反応するだろう。黙っておく? 早めに伝える? CPU部分がすごく稼働しそう。完全に都合いい相手であり続けることは難しい。

人類の永続という観点だと、こんなAIパートナーがいたら人類は滅びるだろう……。わざわざ苦労してパートナーを探したり、傷ついたり、関係を築いたりする必要もない。
まあそれで滅びるなら、人類はそういう運命だったということ。
愛情の対象は何でもありうるんだと思う。昔から何とかフェチとか、二次元キャラ好きの方とかたくさんいるし。そういえば初音ミクと結婚した男性っていらっしゃったっけ。調べたらまだ結婚を続行していてお幸せそうであった。時代を先行しているのかもしれない……。

これからどんどん技術が発展して、人間のようなAIパートナーを得られる日が来るのかもしれない。本当にそれで幸せなのか? リアルの人間同士のコミュニケーションは、どんどん閉ざされ狭くなっていくだろう。人間全体としては、時代とテクノロジーの進化に対応していけばよいのか、考えさせられる映画だった。

 

最後のアルマとトムのシーンは、アルマのアンビバレントな思いが伝わってきて切なかった。アルマはトムに愛情を持っているのだろうと思えたけど、あのレポートもあるので、今後どうなるんだろう。余韻を残す終わり方でした!ドイツの街並みが良かった。ハリウッド的な華やかさはなく、素朴な感じでこれはこれでいいなー。

韓国ドラマ『地獄が呼んでいる』

韓国ドラマの『地獄が呼んでいる』のあらすじと感想です。
私的には『イカゲーム』よりハマりました。未知なる現象によって引き起こされる人間の負の側面や世の中の不条理さを描くのが上手くて引き込まれます。ただ、グロすぎ&ファンタジー色強めで人を選びそうです。

キャスト:ユ・アイン、キム・ヒョンジュパク・ジョンミン、ヤン・イクチュン、リュ・ギョンス
原作・制作: ヨン・サンホ、チェ・ギュソク
原作となるコミック「地獄」は『新感染 ファイナル・エクスプレス』ヨン・サンホと、漫画家チェ・ギュソクの合作。

チン・ギョンフン刑事役のヤン・イクチュンは、『かぞくのくに』『あゝ、荒野』など日本の映画にもよく出演されています。ユジ執事役のリュ・ギョンスは『梨泰院クラス』にも出ていました。

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あらすじ(ネタバレあり)

シーズン1は全6話で2部構成となっています。1-3話、4-6話で区切られています。

ある日、男性がソウルのど真ん中で3体のゴリラ?のような奇妙な怪物に襲われます。怪物にぐちゃぐちゃにされ、怪物の手から放たれる白い熱線によって丸焦げにされ、骨だけが残ります。

新真理会の議長チョン・ジンス(ユ・アイン)率いる新真理会は、以前からこの意味不明な怪物が人を殺す動画を流していました。チョン・ジンス議長は、これは神の裁きであり「試演」だと言います。罪を犯したから地獄に送られるのであって、正義感を持って清く正しく生きましょうと訴えます。

また、新真理会の影響を受けた過激集団「矢じり」のスカルマスク(骸骨マスク)を被った男は、ネットで人々の不安を煽り、扇動します。

1部は、「天使」に地獄に行く日時を告知されたシングルマザーのパク・ジョンジャ(キム・シンロク)をめぐる話がメインです。新真理会は、30億ウォン払うから「試演」を中継したいと申し出ます。パクの子どもを海外に逃亡させるのを手伝うミン・へジン弁護士(キム・ヒョンジュン)やチン・ギョンフン刑事(ヤン・イクチュン)、娘ヒジョンが騒動に巻き込まれていきます。ミン弁護士は2部でも出ています。

2部は、パク・ジョンジャの事件から4年後の世界が舞台で、新真理会や矢じりによる恐怖支配が行われています。告知された人=「罪人」とみなされ、その家族も迫害される絶望的な世界です。告知された人や家族を世間から守り、新真理会のウソを暴こうとする「ソド」との攻防が描かれます。

注目ポイント

死ぬ日時を唐突に知らされ避けられない

場所かまわずに天使は地獄に行く日時を宣告します。スーパーの中だったり車の中だったり。死ぬ日時は、30秒後、3日後、あるいは何十年後です。

津波地震といった災害のようだと思いました。ある日、急に降りかかってきて絶対に避けられないのです。

問題なのは、新真理会が「災害」みたいなものに無理やり「意味づけ」をしているところです。

人々はなぜ自分にこんな災厄が襲いかかってくるのか、理由を求めます。理由もなく、焼かれて地獄送りにされることなんて理解できません。だからこんな目にあうのは何か理由があるんだと考えます。そこで新真理会が不安な人たちの心を掌握してしまいます。

「犯罪のない世界のために」という名目で自分たちが世の中を統制する口実を作るのです。

あの3体の怪物は?

この天使や怪物たちは一体何を表しているのか、その正体は一切明かされていません。ヨン・サンホ監督は「集団リンチの最小単位として3の数字を選んだ」と発言したそうです。今後のタネ明かしがあるのかわかりませんが、かなり気になります。

「罪人」をスケープゴートとして、恐怖で権力を広げる新真理会

4年後の世界は、告知された人=罪人であり、迫害の対象です。ネットで懺悔を強制されます。罪人とされた人の家族も、偏見差別の対象となります。みんながああいう風になりたくないと思って、罪のない生活を目指そうとするわけです。本当に恐怖の世界ですよ。矢じりや新真理会は罪人探しを名目に暴力を振るい、矢じりはリンチや拷問、人殺しもします。

韓国大学のコン教授やミン弁護士による「ソド」は、告知された人をかくまって行方不明にさせてあげる活動をしていました。人に見られない場所で地獄送りにさせてあげるのです。

コン教授の「人に見られずに死ぬ権利がある」という言葉はハッとしました。人の尊厳を守り、人らしく生きて死ぬ権利は非常に重要ですが、これが脅かされる世の中になってしまったのです。

「新真理会」の教義はみんながわかりやすいもの

民衆が混乱しないように、またプロテスタントとの差別化を図るために「原罪」は教義に含んでいません。めちゃ恣意的です。統治者側に都合のいいように作られていることがわかります。(宗教とはそういう側面があるでしょうけど)

しかし、2部では生まれて間もない赤ん坊が告知され、その前提が揺らぐことになります。

「矢じり」が表す過激化する人々

1部でも十分に残酷でしたが2部では拷問、生きたまま火あぶりなど陰惨極まる手段で反乱分子を追い詰めていた矢じり。

誰もが、まさか自分があんな行動はしないと考えます。私もそうです。そんな方には以下の書籍『歪んだ正義 「普通の人」がなぜ過激化するのか』(大治朋子)がとても参考になります。
著者は、中東を調査し、普通の人も十分に過激化する要素を含んでいること、どういった人が過激な行動を取りやすいのか等を調査発表しています。タイムリーに図書館で見つけて良書でした。


歪んだ正義

 

 

2部のラストは夫婦に感動の涙涙でした……
告知された人を必ず地獄に行かせるっていう縛りはないんでしょうか?怪物が間違えたのか?そして、あの人の復活はどういうこと?じゃああの人も復活?そもそも地獄の使者たちは何?

本作品はどんな人にも突然訪れる災厄とそれに直面した社会・人間の反応を描いていてかなり深い作品だと思いました。そして俳優さんたちがみんな上手すぎ。シーズン2ではどんな展開になるのか、全く想像がつかないので楽しみです。

 

生活の質を上げるちょっとした工夫が苦手

日常生活でちょっとした不便を感じても、ど根性でおりゃーと済まそうとしがち。「費用と手間」を考えて、少しのイイ感じを手に入れられるくらいなら、現状維持を選んでしまう。マイナスからプラスにすら目がいかないので、0からプラスにするのはもっと気が回らない。

「快適な家にしたい」と、夫が新居に取り付けたライトはカフェみたいなスポットライト(ペンダントライト?)。これは正解だった。
普通のシーリングライトでもよかったはず。でもスポットライトにしたおかげでオシャレ感がぐっと増した。

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オシャレライトは「費用と手間」をかけて「ちょっとイイ感じ」を得られるに当てはまる。

けど、その「ちょっとイイ感じ」は半永久的に続く。何年もイイ感じを受け取れる。めんどくさいとか、パンクチュアルな時点の感情で価値を天秤にかけるのはもったいなかった。

快適な環境を手に入れるまでにどこでつまずくのか。

まあぶっちゃけ気にならないというのがあるが、もう少しこだわってみたいとも思う。そういえば、前の住居でもドライフラワーやかわいい人形がふと目に入った瞬間に心が一段はね上がる感覚がした。

日々のささやかな気づきが描かれているエッセイを読むの好きだし……(自分も丁寧な生活を書いてみたい!という不純な動機……)

ワークフローはこんな感じか。

1. 「不便だな」「もうちょっとこうだったらな」と感じる
2. どうすればいいか考える
3. ネットで探す。(←ここのハードル高い)
4. 自宅に取り入れられるかを調べる
5. 商品を探す。価格も考慮。家族への説得
6. 買う
7. 取り付ける

もはやハードル走である。
労力と時間が必要だけど、日々目の前のことでいっぱいで十分なゆとりを持てていないことがありそう。面倒くさいってチラッとよぎる気持ちを乗り越えて、次の行動をとるのが大事だな。

何かとすぐ便利グッズを買ったり、サイズを度外視して外観を悪くしたりはやめてほしいが(経験済み)。

日常にイイねが増える生活を心がけてみたい。

お笑いっていいな。ただうらやましい

人生のストーリーが垣間見られるM-1キングオブコントは本当に感動する。

私はお笑いが好きと言っても、Youtubeやテレビでちょくちょくネタやトークを観る程度。学生時代に友人と1回ルミネに行ったことはあるがそれっきり。

昨年夏ごろに改めてお笑いに注目するようになった。当時は仕事や家、コロナの諸々で気分が沈んでいて、たまたまテレビをつけると、なんか大勢の芸人がたくさんの窓の中で変なことをやっている。「有吉の壁」のワンコーナー、スターのおもしろ自宅大公開だった。

芸人らが、自宅の部屋とリモート中継してモノマネをしていたが、徐々に過激化していく。トム・ブラウンは星野源辻仁成に扮し、「うちで踊ろう」ならぬ土で踊ろうと歌い始めて部屋に土をぶちまける。とにかく明るい安村がバケツの水を何度も浴びて部屋を水浸しにする。米津玄師と森山未來の格好をしたかが屋コンテンポラリーダンスをし続ける。

初めてその番組を見て、彼らはなんでこんなバカバカしいことを一生懸命にやってるんだ、と悩みなんて忘れて笑っていた。その頃は仕事や家庭、コロナのストレスで気分が沈んでいた。
不活性化していた脳がパーンとはじけた。

昨年の「アメトーーーク!」では、「40歳過ぎてバイトやめられない芸人」が特集されていた。みんな、お笑いとバイトを掛け持ちして昼夜働く。大変だろう。家庭がある場合は、親戚や近所から白い目で見られることもあるだろう。

でも彼らは自分がやりたいことをやっている。周りに流されずに、仲間とともに自分が信じることをやろうとする、そんな人生うらやましくなる。

楽しいことばかりじゃなくて、はたから見ると苦しいこと、辛いことは、もちろんたくさんあるだろうけど、それを超える実現したい「夢」があるから踏ん張れるんだ。

目の前にいる人を笑わすため、もしくは自分が面白いと信じることをやるために好きなことを懸命にやって、その結果、みんなが楽しい気分になる。すごいなーー

たんに、隣の芝生は青いというのか、無い物ねだりだ。
私には人生を賭けるほどのやりたいことなんてない。会社員にもよっこいしょと適応する。趣味は浅く広く。人から批判されたら意思は揺らいでしまう。

だから自分とは真逆にひたすらに面白いことを追求する彼ら・彼女らの姿に憧れて応援したくなる。

先日のM−1では、錦鯉が優勝して苦節何十年の末に、史上最年長のNo.1が生まれるというドラマを観れてよかった。

個人的にオズワルドかゆにばーすを応援していたが(敗者復活の男性ブランコもすごくよかった…)、ここで書きたいのはランジャタイ

彼らはひたすらギャグ漫画の世界のような奇天烈なボケを繰り返す。私は昨年の敗者復活はワケが分からずポカーンであった。

だが最近、M-1の予習で色々観てたら国崎さんのうますぎるマイムと本人たちが純粋に楽しくやってる姿を見て、尊敬の念をおぼえるようになった。

何回か観ると世界観に慣れた。(慣れていいのか。)個人的には「Iphone」(3回戦ネタ) 「弓矢」「宇宙の真理」がお気に入り。元気だなー幸せそうだなーってにこにこしてしまう。

昨日はテレビの大画面で観て、後半はア然に近かった。多分、だ、だいじょうぶかなって感じで珍しい動物を恐る恐る見ている状態に近いのかもしれない。さっきyoutubeで2回目に観た方が安心して笑えたのでやはり慣れらしい。

何というか、漫才をしている姿が好きで、彼ら自身の生態にもっと興味があるのかもしれない。

国崎さんの突き抜けた明るさと意外に冷静なトーク、実は伊藤さんの方がズレている感じもよいが、好きな理由は他にもある。

国崎さんの書くnoteの文章である。
先日、彼のnoteを知って、読んだら感動して泣いてしまった。ブログで涙することなんてないよ。


奇抜なネタとは裏腹に、こまやかな感性と表現力におどろいた。けど、ネタ中も漫画的な世界観を昇華する表現力に見入ってしまうので、この文章力に納得だ。


最近ずっと日々の雑事に流されて、ブログを書かなくなっていたけど、こんな文章をかければいいなあ、心が動いた瞬間を表現できればなあ、とまた書こーと思った。

笑わせてくれるし、書くことにも影響あるし、感謝しかない。来年はテレビにもっと出るんだろうか。ちょっと怖い。でも応援してる。


また年末の特番でいろんな方々の笑いとその後ろに見える生きざまを見れるのが楽しみ。

教養のある人がえらいと思ってた

本を読んだりニュースに触れたりして、多くの知識がある人がえらいと思っていた。本を読んでこそ、いろんな考えや人生に触れて、その人の人格の豊かさにつながると。

私はある友達が本を一切読まなく、社会情勢にも関心がないと知って、ちょっとがっかりしたことがある。
「小説が特に読めないんだよね。想像ができなくて頭に入ってこないというか」
メルケルってどこの国の人だっけ?」

内心、信じられない…と思ってしまった。その人に敵わないことは沢山あるので、なんか悔しかった。
でも彼は他人の悪口を言わないし、多分、むだな知識がないからか、世の中の純粋さを信じていた。

元々私の理想は、教養があって話の面白い人だった。
勤め先には、博識で自分が知らない世界を沢山知っている年上の人たちが多くいた。


その中でも、頭がキレてユーモアがあり、歴史や時事に詳しく、一方的に尊敬していたマネージャーがいた。

この人は私の理想だとうっとりしていた。

けど、よく関わるようになって別の一面が見えた。結構な頻度で、誰かが思い通りにいかないと激昂して怒鳴りつけたり、自分のイラつきの解消のために刃物のような言葉で相手をぶっ刺したりする。

「あんなバカな奴らとは会話にならない」
「いい加減にしろよ!ちゃんと仕事しろよ」

勝手に私が大事にもっていた理想像は崩れていった。
頭いいから周りがバカに見えるんだろうな。まあ味方についてくれているときは心強かったけど。

めっちゃモラハラしそうじゃないか…

以前は、強い物言いをする人に心惹かれていたこともあったけど、私は目が覚めたのだった。。おとなになったね。

必ずしも知識があり賢い人が尊敬できる人じゃない。この年になってしみじみ感じた。
物知りじゃなくていいから、優しい心を持っている方がいい。

 

あと、親戚の1人は読書家で色んな分野に造詣が深く、以前から尊敬していた。でも無意識に、ん??と思う発言をすることがあった。

同性愛の人が職場にいるのはイヤだ。怖いから。
女性って志が低い人が多い。


ふと気づいた。教養のある人がえらいとか、同じ本を読んでると気があうとかじゃないんだ。(だから『花束みたいな恋をした』を観て私は大怪我をした)
摂取してるものはその人の、ごく一部でしかない。私も同じ。なんか本読んで、新聞読んで、えらくなった気がしていたんだ。
何を考えるか、信じるか、発言するか、行動するか。それが大事なんだな。教養があるイコール尊敬できるにはならない。

ちなみに冒頭の友人は社会人になってから毎週図書館に通ってるらしい。
あのときの私、「本読まないとか信じられないわ」とか言わなくてよかった。何かを押し付けることは自分が昔されて嫌だったことだ。
人にとって何かを始めるタイミングはそれぞれ。自分のタイミングがある。

黙認されてきた暴力の描き方(BBC記事)

映画やテレビにおける悪役の描き方について、BBC記事を要約。

最近のリアリティを追求した作品では、これまでのようなわかりやすく顔に特徴がある悪役ではなく、近所のナイスガイ、はたから見ると尊敬されている人が悪役を担っていることがある。(顔に特徴がある悪役とは、例えば「ダークナイト」ジョーカーや「スターウォーズダース・ベイダー等々。)

下のBBC記事では、男性による女性に対する「男らしさ」の行き過ぎや傲慢さを描く作品を挙げ、これまでエンタメ業界は、面白おかしく、より男性が魅力的に見えるように描いてきたことを述べている。記者は男性に対する悪影響を指摘しているが、ドラマのせいだけではなく、男女とも古くから内在化していると思う。ただ昨今のドラマでは、そうした「無自覚な暴力」を賞賛せずに、浮き彫りにさせる必要があるのだろう。

 

「プロミシング・ヤング・ウーマン」など社会的メッセージとともにうまく描けている作品もあれば、逆に視聴者に「私もあのイケメンに殺されたい!」と単に思わせる作品もある。どんな作品があってもいいと思うけれど、製作者側が無自覚に称揚するのは問題になってくるのかもしれない。

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